【京都旅行】珍皇寺←なんて読む?清水寺に行く際にはこちらも忘れずに!
京都にある珍皇寺(ちんのうじ)に行ってみた!
六道の辻?
京都の珍皇寺(ちんのうじ)に行ってきました✨
「ちんのうじ」と読みます。
珍皇寺は1枚目の写真の通り、
「六道の辻 珍皇寺」と言われます。
六道の辻とは❓❓と思います。
まず、「辻」とは、交差点だと思ってください。交差する所や道の分かれ目や境目だと思ってもらえれば分かりやすいです。
では六道とは。
仏教において六道とは
私たち人間は上から2番目の世界で、恵まれてますね。1番上は神様のいる世界です。1番下はもちろん地獄です。
修羅道とは、修羅場という言葉があったり、北九州のことを「修羅の国」と言ったり、阿修羅という仏像があったりしますが、これは「戦いの絶えない世界」のことを表しています。平和のない世界ということですね。🔪
次の畜生道は、よく悔しいときなどに「こんちくしょー!」といいますが、あの畜生です。畜生は動物のことを表しており、人間道よりも下に位置しています。つまり、ちくしょう!と人に向かって言うのは、自分より卑下して見てることになるので悪口はやめましょう!☺️
(仏教は動物を下に見る思想ではなく、動物でいると中々人間のように思考したり、悟りを開いたりするのが難しいので下に位置付けています。)
餓鬼道は、よく「このクソガキ」と言いますが、これは幼い年齢の子のことではなく、常に何かに飢えていて苦しんでいる鬼のような存在のことを表します。人間ではないのです。
絵巻物では小鬼のような小さい姿で描かれるので、小さい子供にもガキと使うようになったのでしょう。
このような六道の交差点、他の世界、異世界に繋がる場所が「六道の辻 珍皇寺」ということなのです。
小野篁ってだれだか分かる?
このお寺には小野篁(おののたかむら)という平安時代の文人と、閻魔大王の像が安置されています。
閻魔大王は地獄の主ですから、なんとなく六道の辻にいてもおかしくはないと思いますけど、小野篁は不思議ですね。🤔
小野篁は昼間は朝廷の役職員でした。でも夜になるとこの珍皇寺にある井戸に入っていきます。(オヤオヤ)
この井戸はなんと地獄につながる入り口であり、
夜の間小野篁は、地獄で閻魔大王のお仕事を手伝っていたと言われていたのです。👿
こんなことはおそらくないとは思いますが、そう思われたのは、
以前小野篁が朝廷から左遷されて地方に飛ばされました。当時、左遷されたら死ぬまで戻ってこれないと言われるほど絶体絶命でした。
しかし驚異的なスピードで都に返り咲き、朝廷でまた働くようになりました。
そのようなことから地獄に行っても帰ってくるというイメージで、
地獄に出入りしている小野篁というイメージがついたのでしょうね。
最後に、六道の辻は、やはりこの世とあの世の境目という意味です。この六道の辻がある場所も清水寺に向かう参道の途中にあります。
清水寺の投稿を見てもらえれば分かる通り、地獄を一旦参拝客に意識させる構図を作り出していたのでしょうね。⬇
余談
そういえば練馬区か板橋区かに「六道の辻」という場所があり、こんな所にもあの世との境目があるのかと思い、見に行ったことがあります。でもそれは単に6方向に分かれた道の分岐点だったということでした。少し残念でしたね😅
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