駿州男児のれきし散歩

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【京都旅行】鴨川のほとりにある京都瑞泉寺を参拝して分かったこと!!豊臣秀次の汚名返上ができました!

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皆さんこんにちは!

京都の瑞泉寺に行ってきました

瑞泉寺の概要

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瑞泉寺豊臣秀次という人と、その妻子がお祀りされています。

  豊臣と聞けば、、、あの人が思い浮かびますよね! f:id:kuborichan:20220313125640j:plain

 

そう!豊臣秀吉!すごい豪華絢爛な肖像画ですよね〜 とても立派な装束です。    

豊臣秀次「関白秀次」とよく言われ、豊臣秀吉の甥っ子です。

最初、秀次のことを秀吉って読み間違えてた人いるんじゃないですか??(笑)

この人が豊臣秀次です→

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読み間違えたかどうかは、さておき、豊臣秀吉は太閤殿下ってよく言われますよね。太閤検地とか習いましたよね?

 

「太閤」という名前は、役職名で、以前関白であった人で、関白をやめた人に贈られる称号です。

つまり秀吉は以前は関白だったので、引退して太閤という呼び名をもらったことになります。

   

さて、秀吉が関白をやめて、次の関白を誰にしようかってなったときに白羽の矢が立ったのが、、、

→この瑞泉寺に祀られている秀次なのです。実質、豊臣秀吉の後継者は豊臣秀次という人物で、とっても重要な人だったのです。でもあんまり知っている人はいませんよね。

 

なぜ秀次はあまり知られていないのか?

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理由は2つあり、1つは、せっかく関白になった豊臣秀次切腹してしまったからです。 2つ目は徳川の世になって秀次が悪人にされてしまったからです。   しかしこの2つの理由は新説です。今までの理由としては、豊臣秀吉に後継者である子供ができたからという理由です。

 

これがなぜ秀次の有名さとつながるのでしょうか?

秀吉は、長年自分の子供ができなかったり、生まれてもすぐに死んでしまうなど悩んでいました。 だから秀吉の後継者は秀次におまかせしようと思っていました。そんな時に秀吉に豊臣秀頼という実子ができ、子供を溺愛し、次第に甥っ子である秀次をうとむようになります。

 

そして秀吉はなんと、あろうことか、秀次に汚名を着せて、高野山に追放して自害を命じました

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高野山

高野山秀次の切腹[/caption]

その後、秀次の妻子もろとも49人を四条河原で公開処刑のようなことをしました。

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秀次の切腹



可愛そうですよね、、、 これが秀次があまり有名ではない理由です。  

 

秀次の切腹の新説

上で言ったのはあくまでも旧説です。新説は今や主流になりつつあります。 この新説を発表したのは國學院大學の史学科教授である矢部健太郎先生です。  

 

新説では「秀吉は秀次公に切腹は命じていなかった」と言っています。   その論拠として、 1 現在言われている秀次像は、徳川の世になってからの文献がほとんどで、悪者に仕立て上げようとしている 2 豊臣家にとって秀次は数少ない男子だった 3 関白という重要な位を朝廷からもらったのに蔑ろにしてしまうのは不自然 などなどです。

 

一番最初の説

一番最初に関しては、秀次は文献上、「摂政関白」になぞらえて、「殺生関白」と揶揄されていました。 凄惨なことを行う暴君としての性格を感じさせる書き方です。 こういうふうに書いたのはすべて徳川の世になってからの文献であり、豊臣が間違っていたことを誇示するかのようです。

 

二番目の説

豊臣家には男子が少なかったのです。 秀吉、秀次、秀頼の三人しかいませんでした。 秀次が切腹したとき、秀頼はまだ三歳だったので、三歳の子供を残して秀次を切腹させるというのは どうも納得しづらいというか、腑に落ちないですよね。 だから、秀次は秀吉に命令されたのではなく、自発的に切腹したことになります。  

 

三番目の説

関白という位にとどまらず、官位をいただくのは古来からの習わしで、朝廷が授けるものでした。 朝廷から、豊臣姓まで賜った秀吉は、朝廷のことを大変ありがたく思っていました。 そんな朝廷から関白という位までもらい、次の後継者にわたしても良いと言われたのに、 そんな関白秀次を切腹させるのはちょっと変だと思いませんか? やっぱり秀次が自発的に行動したという説が濃厚ですね。   他の書状にも、高野山にいる秀次を秀吉は、切腹をしないようによく見ておけという指示まで出していたようです。  

https://toyokeizai.net/articles/-/128078 ↑詳しくは東洋経済オンラインの記事をお読みください。

 

切腹してから数十年後には、、

切腹事件があってから数十年後くらいに角倉了以という人が川を整備していたときに、秀次の妻子の骨などを見つけました。

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角倉了以という様々な川を整備し、開削した人物

 

五輪塔などが河原にあったのですが、それが川の流れで崩されていました。

そのことに大層心を痛め瑞泉寺というお寺を建てて供養することにしたのです。👏

 

そういうお寺を江戸時代初期に建てられて今まで400年ほど経っています。人々は大層この秀次の境遇や妻子の運命を悲しみ参拝していたのでしょうね。

参拝というより鎮魂や、供養という意味で、墓前に手を合わせるという感じで参拝したのでしょう。

私も墓前に手を合わせに行ってきました。処刑をされる妻子の気持ちや、秀次公の気持ちを推し量るだけで胸が痛くなりました。

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合掌

 

大河ドラマにも反映

「秀吉は秀次公に切腹は命じていなかった」という新説を矢部先生が出し、学会でもそれが受け入れられつつあるようです。

2016年の大河ドラマ真田丸でも、矢部先生の説が採用され、そのような描写になっていました。

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真田丸

 NHK大河ドラマ-真田丸(2016年放送)

 

 

皆さんもぜひ瑞泉寺に行ってみて、手を合わせてみてください。🙏

  そして矢部先生の本で、もっと詳しく知りたい方はこちらから↓     

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