【京都旅行・銀閣寺】歴史的背景を知って銀閣寺の拝観を100倍楽しもう!周辺飲食店や駐車場情報についても

はじめに
皆様、こんにちは!
今回は京都旅行のド定番銀閣寺のご案内です!
歴史的背景を知って見るのと、知らないで見るのでは楽しみ方や視点が大きく変わってくるので是非このブログを参考にしてください!

銀閣寺を訪れる前に読んでいただくといいのですが、あえて事前知識を持たずにファーストインプレッションを大切にして参拝するのもいいと思いますから、予習でも復習でもどちらでもお好きな方を選択してください。
ですから記事の構成上、先にアクセスや駐車場について記載しています。
歴史について学びたい方はぜひ最後までご覧ください。

アクセスと駐車場
《マイカーでお越しの方》
カーナビに入れてみると行けるよ↑↑
《駐車場情報》
・京都市営駐車場
銀閣寺周辺を走っていると京都市営の駐車場がありますが、2時間も見ないなら他の駐車場を利用したほうが安いですね。ただ、銀閣寺周辺には少し歩けば多くの観光スポットがあるので、1040円で銀閣寺含め「哲学の道」や「周辺カフェ」2〜3箇所を回れば安いもんです。
観光用タクシーが優先らしいので、なかなか空いていないのが現状ですけど。
料金 1日1回1040円
・ブーブーパーク 銀閣寺前 第3
料金 :【月~金】0:00~24:00 30分/200円
入庫後5時間 最大500円(No,2-3-4)
入庫後24時間 最大500円
- 【土日祝】
0:00~24:00 30分/200円 - 普通車 4台
詳しくはこちらのブログを見てみてください↓↓↓
《電車・バスでお越しの場合》
電車:銀閣寺は東山という山すそに位置しており近くを電車が走っていません。
2キロ以上あるのであまりオススメしませんね(笑)この2キロの間には京都らしい町並みも実はそれほどなく車がバンバンはしっている都会の町並みなのでバスで行ったほうがいいかもです。
バス:京都市バスの「銀閣寺道」で下車してください。さすがは観光都市京都ですからバスはたくさん走っています。
【京都駅から銀閣寺を目指す】
・5系統→「四条烏丸・平安神宮・銀閣寺・岩倉方面行き」乗り場はA1番。
【東山三条・地下鉄東山から銀閣寺】
銀閣寺の歴史
創建
さて、やっと歴史の話ができますね!銀閣寺は文明14年(1482)に造営が開始され、文明17年(1485)に禅をするための部屋ができました。今から約540年前にできて今では世界遺産になっているのです!こういった話をもっと理解するためにまずは基本から学んでいきましょうか!

🔍銀閣寺を建てた人物からまず学んでいきましょう。さあ誰でしょう?
正解は、、、
足利義政です!この方は室町幕府第8代将軍です。このくらいは簡単だよ〜という方もいると思います。

この動画↑で足利義政は楽しくざっと学べます(笑)
🔍、では、銀閣寺とは実は正式名称ではなく通称なんですね。銀閣寺という名前も金閣寺に対してつけられているのです。正式名称とはなんでしょうか?
正解は、、、
慈照寺(じしょうじ)でした!もっと言えば「東山慈照寺」です。
🔍じゃあ慈照寺の慈照とはなんだと思いますか?
正解は足利義政公が亡くなった時に送られた法号「慈照院」に由来しているんです。
一般人の私達も亡くなると戒名とかもらいますよね?法号は法名とか戒名みたいなものなので、慈照寺というのはモロに足利義政を表しているのです。
銀閣寺の前身
ちなみに銀閣寺のHPを見ると臨済宗相国寺派銀閣寺を書かれています。
お寺には宗派があり、〇〇宗、△△派があるのですね。臨済宗は座禅をする宗派になります。
もともと銀閣寺は足利義政の山荘として建てられており、もともとお寺ではなく「東山殿」という山荘があり、禅をする場として意匠が凝らされた場所でした。義政没後に臨済宗の寺院となりました。
義政は室町幕府の将軍であり本来であれば、内閣総理大臣のように日本を引っ張っていかなければいけない立場でした。しかし、政治にはあまり興味がなく書画・絵画などの芸術や、茶の湯や禅などの文化的なことに非常に興味があり、文化人としての側面が強い人物でした。
ですから義政は生前から多くのお坊さんと交流があり、「山荘東山殿」も多くの相国寺の禅僧の手助けがあります。当時のお坊さんというと一番の学者で頭がいい人でしたからお坊さんとお話しているだけで、義政はすごく楽しかったと思いますね(笑)
相国寺のお坊さんが協力者・スポンサーとしていたので、義政が没後に相国寺派のお寺になるのは納得ですね。
あと、銀閣寺を作る時、何が驚きかっていうと、市民から段銭(たんせん)という臨時の税金を徴収して銀閣寺を造営しているのです。今で言えば「総理大臣の邸宅を作るので一時的に消費税15%に上げます!」って言ってるようなもんですよね(笑)
向月台(こうげつだい)と銀沙灘(ぎんしゃだん)

↑↑↑この景色が銀閣寺の代表的な風景だと思います。毎日キレイにお坊さんが整備している砂でできた景色は銀沙灘といいます。そして奥に見える円錐形のものが向月台といいます。
ところでどうして銀閣寺というか分かりますか?金閣寺はキンキラキンに輝いていますから金閣寺の由来は納得ですよね。
でも銀閣は銀色に輝いていませんし、むしろ黒っぽいですし「黒閣寺」の方がふさわしいのでは?と思いますよね(笑)ちなみにこの↓↓↓の写真の建物は銀閣寺の中の「観音殿(かんのんでん)」といいます。観音殿がいわゆる銀閣寺として認識されていますよね。
![]()
さて、銀閣の由来ですが、ここでポイントなのが向月台なのです。向月台は「月に向かう台」と書きますがまさにそのとおり、月の光に観音殿が向かうために作られました。
ある満月の夜、銀沙灘に煌々と降り注ぐ月の光が向月台に反射して、観音殿に映る姿は闇夜に浮かび、まるで銀色に輝いているように見えたのです。
ですから、銀閣寺の長い歴史の中で一度たりとも銀箔が貼られたことはありません。白い土が塗られ、より一層銀色に輝くようにはなっていたらしいですが、金閣のように金箔を貼って豪華にはしていないみたいですね。
義政は風流な文化人ですから月を愛でる最高の別荘を作りたかったことがよく分かりますね。
東求堂

↑↑↑さて上の写真は東求堂(とうぐどう)と呼ばれる建物です。観音殿のようには有名ではありませんが、ここも見ておきたいポイントです。(結構うまく写真撮れた笑)
東求堂は檜皮葺(ひわだぶき)の現存最古の四畳半書院なんです。
檜皮とは,秋から冬にかけて剥ぎ取った檜の樹皮のことで,これを一尺五寸から二尺(45-60cm)程度の長さに切り分けて,何層にも重ねた上で竹針で固定したのが檜皮葺です.寺院や行政施設のなかで格式の高い建築には本瓦が採用されましたが,檜皮葺は主に神社の本殿や皇族の邸宅建築の中で特に格式の高いものに用いられました.茅葺・柿葺・檜皮葺とは?|奈良巡りで学ぶ、和風建築の屋根素材(植物素材編) | 大和モダン建築
南面に仏間、北面には6畳と4畳の部屋があり、4畳の部屋のほうが義政の書斎・同仁斎(どうじんさい)と呼ばれています。
東求堂の中は拝観することができず春と秋の特別拝観しか見れないみたいですね。
ネットに落ちている画像があったのでこんな感じだそうです↓↓↓
大正13年に撮られた写真によると↓↓↓真中に茶の湯の道具が埋め込まれているので昔と今では装いが違ったようですね。

しかし大枠としては違い棚や付書院、腰障子があってある程度同じですから、義政も同じような空間にいたんでしょうね、ホントそう考えると感慨深いですね。
戦乱の世と銀閣寺
銀閣寺は戦乱とは切っても切り離せない縁でつながっており、いくたびも銀閣寺は焼け落ちました。
応仁の乱
そもそも慈照寺銀閣ができる以前は浄土寺というお寺がありました。その浄土寺が応仁の乱によって焼け落ちたがために、その跡地に東山山荘が作ることができたのです。
浄土寺は、銀閣寺に向かう参道を登り、お土産屋を全部通り過ぎて、いよいよ銀閣寺の中だ!という場所の左手にひっそりと建っています。ですからほとんどの観光客は見逃してしまいがちですが、見逃さずに見ていってください。


今では浄土寺ではなく浄土院という名前になっていますが、もとは同じお寺です。浄土寺には義政の弟、足利義視(よしみ)が住んでいて大変な賑わいを出していた時期もありましたが、応仁の乱でことごとく消失し、相国寺の西隣に移転することとなりました。
義政は弟の義視とすごく対立していたので、嫌がらせなのか?権威を示すためなのか?マウントを取るためなのか?わざと浄土寺の跡地に銀閣寺を作ったんですよね〜(笑)
🔥また浄土寺というのは五山送り火を管理するお寺として有名で、なので慈照寺の背後に控える東山にも寺領を有していたんですね。
慈照寺の後ろにも浄土寺があることが分かる絵図がこちらです↓↓↓


送り火
こういった銀閣寺を語る上では大切な浄土寺は、送り火を司っていると書きました。そしてこの送り火は将軍義政と密接に関わっているのです。
義政の息子である室町幕府9代将軍、足利義尚(よしひさ)は幼くして将軍となりましたが、24歳という若さでこの世を去っています。義政は存命だったので息子の死にひどく悲しみます。義尚↓↓↓

足利義尚の菩提を弔うために東山の如意ヶ嶽(にょいがたけ)に送り火をしてはどうかと義政の側近に言われ始めたのが起源とされています。
銀閣寺の庭園
銀閣寺に行くと、銀沙灘と一緒に庭園が目に入りますね。こちらの庭園は国の特別史跡に登録されています。錦鏡池(きんきょうち)と呼ばれる池を中心にした池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)です。
読んで字のごとく、「池・泉のまわりを回って見る庭園」です。
慈照寺庭園には鑑賞用の築山(つきやま)、龍背橋(りゅうはいきょう)という橋、名石である九山八海石(くせんはっかいせき)がありました。
こういった特徴はまさに池泉回遊式庭園の特徴ですね。あ、ちなみに九山八海石は現在では失われており、それを奪い去ったのはあの有名な織田信長です。

寄せ集めた名石や名木
足利義政は銀閣寺(東山山荘)を造営するにあたり、庭園にいろんな名石や名木を周辺のお寺や神社から持ってこさせました。名石・名木は有名だったり著名な石や木ということですから、当然みんな手放したくはないわけです。😖
しかし、時の将軍が「欲しい!」といえばそりゃあ断れないわけです(笑)
6代将軍足利義教(よしのり)のように、😡有力守護を次々と暗殺し、「義教公に逆らったら殺される!」というイメージが、義政にはなかったと思いますけども、8代将軍ですからみんな泣く泣く名石・名木を差し出すんですね。
具体的には東寺、鹿苑寺(金閣)、長谷寺、建仁寺、大乗院、一乗院、小川第跡、室町第跡、仙洞御所から持ってこさせました。
赤丸が慈照寺銀閣ですから、奈良県のすっごく遠い場所からも名石・名木を持ってこさせたことがよく分かりますね(笑)

九山八海石など含め、畿内の珠玉の名石・名木を東山山荘に寄せ集めたわけですが、義政が亡くなると、慈照寺銀閣から元あった場所に返せ!と言われ奪われてしまいます。
先程、織田信長が九山八海石(くせんはっかいせき)を持ち去ったとありますが、織田信長は室町将軍第15代の足利義昭(よしあき)をもてなすための二条御所を作るときに、
「あ、この名石めっちゃいいやん!よし、慈照寺にあるみたいだからちょっくらもらってくわ〜!この石だって元々奪ってきたもんやんか〜」
的なノリで奪っていったものと思われます。
銀閣寺にあった九山八海石が気になるところではありますが、私が知っている範囲では見つけられませんでした。ただ、九山八海石という石は金閣にあります。
義政が銀閣に九山八海石を欲しがった理由は、3代将軍足利義満(よしみつ)が建てた金閣にあったからに他なりません。きっと憧れを持っていたんでしょうね。

庭園の石の見方に関してはこの方のブログが詳しいですからぜひ参考にしてみてください。初心者には難しいかもしれませんが、目を凝らして見るのもまた一興ですね(笑)
↓↓↓
http://www.musokokusi.com/teienn-ginnkaku.htm
周辺飲食店
さて、歴史の話も結構してきましたからそろそろ腹ごしらえでも行ってみますか?
まずはこちら↓↓↓
お多やん(おたやん)
銀閣寺参道を降りきって今出川通を西にまっすぐ進みます。京都銀行も左手に見ながら進み、信号を渡るとすぐそのお店は見えてきます。

程よい辛さでカレーがうどん麺にまとってすっごく美味しかったです!
営業時間
営業時間
11:00〜23:00(水曜定休)
ラストオーダー22:00日曜営業
定休日
水曜
カードと電子マネーが使えなかったようなので注意してください!
茂庵
茂庵はもともと大正時代に創られた茶の湯のための場です。その立地は、西に京都大学、百万遍、東に銀閣寺、、と人々の行き交う町中にありながら、ほんの少し、足をのばすだけでどこか遠くの山中にトリップしたかのような隔離感を感じることのできる場所です。
山を少し登った先にあり、観光雑誌に載っていたので行こうと思っていたお店です。しかし待ち時間が長すぎたので泣く泣く諦めたお店なんです(泣)
オープン時間に合わせて行くとそれほど待たずに楽しめると思います。

●住所
●電話
075-761-2100
●カフェ営業時間
11:30~18:00(17:00ラストオーダー)
●定休日
毎週月曜日 / 火曜日(祝日営業、翌平日休業)
年末年始、夏期休業 8/17~8/31
お菜ところ

お惣菜盛り合わせ / 季節の小鉢 / 自家製ちりめん山椒 / ご飯 / 赤出し / お漬物 / 生麩きなこがけ
卯の花・ひじき・千切り・高野豆腐など、昔ながらの京都の家庭料理を味わって頂けます。
おだしがしっかりきいたお惣菜は、美味しいだけでなく、体にも優しいものばかりです。
季節により内容が変わる「季節の小鉢」は、その季節に美味しい一品をお出ししています。
どれもひとつひとつ、時間と手間をかけて、一から手作りしています。ぜひ、じっくりと味わってみて下さい。
営業時間
11:30~19:00
日曜営業
定休日
月曜日
併せて回るオススメSPOT
銀閣寺周辺には少し足を伸ばせば観光できそうな場所が点在しています。周辺情報について最後にご紹介しますね。
哲学の道
哲学の道は銀閣寺参道を降りたすぐ脇にあり、哲学者西田幾多郎がこの道を歩きながら哲学について考えていたことが由来とされています。みなさんもここへ来たら頭の中がすっきりし、煮詰まっていた考えが解消されるかもしれませんね!「生きるとは何か?」なんて考えてはいかが??(笑)

法然院

あまり有名ではありませんが銀閣寺の近くにある古刹です。銀閣寺ほどではありませんが、白い砂を盛り上げた白砂灘(びゃくしゃだん)があります。
銀閣寺の銀沙灘(ぎんしゃだん)もそうですが、なぜ白い砂を突き詰めているのか?というのが疑問ですね。近くに白川が流れており、何か関係があるんでしょうかね。白川の由来は、川底が白い砂で敷き詰められているからだそうです。この白い砂は花崗岩が風化して流れ出たものです。
ですから銀閣の銀砂灘や法然院の白砂灘(びゃくしゃだん)は白川の流れを表現しているのかもしれないですね。
吉田神社
吉田神社はさきほど少し紹介した「茂庵」がある山の裏手にございます。茂庵がある山こそ吉田山であり、その吉田山を崇拝する信仰が最初だったと思います。
吉田山は神楽岡という名前でも呼ばれており、神々が天から下り、そこで神楽を踊ったと言われており由緒正しい神社です。京都の街を守る鎮守神として信仰されています。
まとめ
今回は銀閣寺を中心にお伝えしてきました。せっかくの京都旅行ですからぜひ楽しんできてください!室町時代に思いを馳せて眼福なもので満たして旅行して来てくださいね!では今回はこのへんで終わります!



