【京都旅行・二条城】歴史的背景を知って二条城を100倍楽しもう!かつての天守閣の姿とは。。。
二条城の概要
京都旅行ではぜひ行って欲しい二条城について今回ご紹介しますね。最後までご覧いただき二条城の歴史や背景について知っていただきたく思います。知らないよりも知って拝観したほうが100倍楽しめると思いますよ!
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モデルコースと距離
二条城はめちゃくちゃ広いので二条城を気軽に見たい場合は、モデルコースを使ってサクッと、でも見るべきポイントは抑えて見てください!
【サクッとコース】所要時間45分〜1時間
本丸御殿を回らないコースです。二条城では早周りコースとして紹介されていますが、現在の間はこのコースでも問題ないと思いますね。現在本丸御殿は改修中により見ることができないため、本丸庭園や天守閣跡に特段興味がなければこのコースで二条城の特徴を抑えられます。
二条城の距離
敷地面積は275,000㎡で東京ドーム6個分くらいの広さでかなり広いことが分かると思います。外周は2kmで東西600m、南北400mの広さを誇ります。
上のモデルコースを歩いた場合の距離を測ってみました。そうすると1.33kmという結構眺めの計測ができました。モデルコースでも長いですね(笑)
拝観料
一般の方は1030円から1300円になりますのでご注意ください。⚠️
東大手門(重要文化財)
東大手門は二条城のいわば正門であり、天皇や徳川将軍がこの門の下をくぐっています。この門は寛文2年(1662年)に作られたものが残っているのです。
現在の東大手門を見てもらえれば2階建てになっていますね。しかしある時期は違ったのです。
寛永年間には後水尾天皇の行幸(ぎょうこう)があり、東大手門を通って入城することになりました。そのときにこの門が2階建てだと天皇を上から見下ろす事になってしまうため1階建ての東大手門に作り変えられたのです。↓↓↓↓
東南隅櫓(重要文化財)
東南隅櫓(とうなんすみやぐら)は重要文化財であり築城当時からのものがそのまま残っている貴重な櫓です。天明8年(1788)に二条城が火災に見舞われますが、火災を逃れ残っています。下の写真でいうと右手が東大手門で、左手奥が東南隅櫓ですね!
↓↓↓↓こちらが東南隅櫓ですね。昔は櫓で敵を監視するというよりかは、武器庫として使われていたそうです。
唐門(重要文化財)
唐門(からもん)はとにかく豪華ですよね✨この先に続く二の丸御殿の正門ということになるのです。この唐門は聚楽第(じゅらくてい)や伏見城にあった遺構が使われていると伝えられています。遺構とは、つまり昔聚楽第など別の場所で使われていた材料が、解体されてこの唐門に使われているということです。
ビューポイント1 屋根
まず屋根!
屋根はきれーいに整えられていますが、この屋根は檜皮葺(ひわだぶき)という葺き方です。日本独自で発達した屋根の作り方でヒノキなどの木の皮を何枚も重ねて整形して作ったんですね。
またこの独特な屋根の形でグニャッと曲がっている屋根の特徴こそ「唐門」という名前の由来なんです!というのもこのグニャッとなっている屋根のことを「唐破風(からはふ)」と言って、唐破風のある門だから唐門なんですね。
そしてこの唐門は行ってみたらよーく上を詳しく観察してほしいんですね。
牡丹彫刻を盛んに用いており、そこには蝶がきれいに彫られています。
ちなみに百獣の王といえばライオンですが、百花の王といえば牡丹なんですね。
牡丹は一見キレイな花ですからそれで彫られているのかな?とおもいますが、実は徳川家の権威を示すために多用された花だったんですね。二の丸御殿の中にも牡丹の花がたくさん彫られていますからぜひ徳川の隠れた権威の示し方を探してみてください!
また下の部分には長寿を表す鶴と亀が彫られています。「鶴は千年・亀は万年」とよく言いますよね。これは牡丹のときと同様にあるメッセージが込められています。
これは「鶴と亀のように徳川家が長く繁栄するように」というメッセージですね。
他にも龍と虎も精巧に彫られていますね。素晴らしい彫師であることは一目瞭然です。
↓↓↓江戸初期に描かれた洛中洛外図屏風によると唐門は意外と質素に描かれていますね。洛中洛外図屏風ですから本物のように描かれているとは限りませんが、昔は豪華ではなかったのかもしれませんね。
二の丸御殿(国宝)
さあ、いよいよ唐門を通り過ぎて二の丸御殿に入っていきます。こちらは国宝に指定されており、部屋が33部屋もあり、なんと800畳もの広さを誇る御殿です。
車寄
最初に目に入るのが玄関ですよね。玄関は車寄(くるまよせ)と言います。
↓↓↓天皇や中宮といった公家が牛車(ぎっしゃ)で入ってきた際にこの玄関に横付けして、そのまま建物に入るのです。青い丸で囲ったのが鳳輦(ほうれん)ですね。緑の丸が牛車ですね。こんな感じで入城して車寄で降りて二の丸御殿に入っていったんでしょうね。
遠侍の間
さて最初に御殿に入ると出迎えてくれるのが下の襖絵です↓↓↓
↑↑↑この襖絵は「遠侍の間(とおざむらい)」と呼ばれる部屋にある襖絵です。遠侍の間は来賓者が最初に通される部屋であり、そこに虎の絵を使うことである意味では威嚇していることになるんですね。
あとよーくこの画像をご覧頂きたいんですが、または直接襖絵を皆様の目で確認していただきたいんですが、虎とはちょっと違う動物も混じっているんです。
そうです、左に描かれている動物は虎じゃなくてジャガー(豹)ですよね(笑)
縦棒が入っていると虎ですけど、黒い点が入っているとジャガー(豹)ですね。
江戸時代当時は面白いことに、虎と豹というのは全く同じ生き物だと思われていたからなんです!ですから江戸時代の人は豹を見ても虎だと思い、個体によって柄が違うという認識だったんですね。まあ、当時は動物園もありませんし、虎や豹なんて一般人は見たことがないのでしょうがないかもしれないですね。
二条城会談
遠侍一の間では徳川家康と豊臣秀頼(秀吉の息子)の会談が行われた部屋でもあります。当時は豊臣秀吉は亡くなっており、豊臣秀頼公が家督を継いでいました。
二の丸庭園
本丸御殿
本丸御殿は現在改修中で中に入ることができませんでしたので、改修が終わりましたら情報を更新しますね。
本丸庭園
本丸庭園は二の丸庭園を過ぎて内堀にかけられた橋を渡ると見えてきます。
大変広い敷地なので他の色んな場所をまわりたい方はスルーして帰路につかれる方も少なくありません。
しかしこちらにもしっかりと魅力はあります。
二条城は徳川慶喜第15大将軍が大政奉還した場所として有名ですが、慶喜が大政奉還したあと二条城は天皇家の所領になりました。ですから二条城の管理は皇室がすることになったのですが、そのすぐあとに鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発し、当時の二条城の本丸が荒廃し武器庫としての側面も強くなっていきました。
ですから現在の二条城本丸庭園のような姿は微塵も感じられませんでした。
しかし戊辰戦争が晴れて新政府軍(明治政府)の勝利に終わったときに明治天皇が二条城の本丸を見て、これだけの土地を有効活用しないのはもったいないとして庭園を整備させました。
その姿が現在にも受け継がれているということなのです。本丸庭園には日本庭園の要素が詰め込まれており、築山(つきやま)というこんもりした丘のようなものも見受けられますのでぜひご堪能ください。
天守閣跡
さて、本丸庭園を歩いていると天守台が見えてきます。天守台とはその名の通り天守閣が乗っていた台のことです。現在二条城には天守閣は有りませんがかつてはあったようです。天守台を登ってみても特にはありませんがそこからの眺めはいいので登って櫓の景色を体感してみてもいいですね。
天守台の見どころとしてはどちらかというと石垣にあります。
石垣は精巧に積まれており1600年代に作られた石垣がそのまま残っています。二条城は天下人となった徳川家康が作らせたのでいわゆる「天下普請」として全国各地の石工や大工が石垣づくりに携わりました。
天守閣は残念ながら火災にあい焼け落ちてしまいましたが往古の姿が洛中洛外図屏風に 残っていますね↓↓↓
どんな建物よりも高くそびえる二条城の天守閣は徳川の治世を実感させるものですね。
下の写真のようにしっかりとシャチホコも備え付けられていますね。
↑↑一枚目の写真を見る限りでは「五重の層塔型」のようです。
二枚目の写真を見ると「三重の望楼型」っぽく見えますがはたしてどっちだったのでしょうね。天守台の大きさからすると三重であった可能性もありますが実際のところどっちだったんでしょうか。はたまた、三重のように見せて金雲の下に隠れているんでしょうかね。
まあそんなことも考えながら探訪してみてください!
まとめ
さて今回は二条城の魅力について解説してきましたがいかがだったでしょうか?
二条城はめちゃくちゃ広いです(笑)
半日かけて二条城を見て回ってもいいぐらいですが多分観光で二条城に来ている方はそんな時間はかけていられないと思いますから見どころをしっかり押さえて回ってみてください!
ぜひ他の記事もご覧ください!ここまで見てくださりありがとうございました!