【京都旅行】清水寺の本来の参拝ルートは仏教の死生観をもとに考えられていた!!!
- 修学旅行の定番お寺!
- 昔の参拝ルートとは?
- 死から生への転換
- 清水の舞台から飛び降りる!
- まとめ
- 追記
- 共同通信の記事↓
- https://news.yahoo.co.jp/articles/db0104d7f7aadbbe943b7eb1cdf41e2394d4a0d4
修学旅行の定番お寺!
皆様、こんにちは!
今回は京都の清水寺に参詣してきました。✨
昔の参拝ルートとは?
実は清水寺の参拝ルートは昔の人々と違っていました。
簡単に言えば、六波羅蜜寺を通って、さらに坂を登っていくと清水寺があるので、清水寺に行きたければ 六波羅蜜寺の横を通らなければいけませんでした。
少し前の投稿の六波羅蜜寺の付近は髑髏がゴロゴロ転がっていた場所だと言いました。つまり六波羅蜜寺では死を連想させるのです。六波羅蜜寺の記事は↓からどうぞ
死を連想させるのはこのようにです。↑
大量の石塔があり、いわばお墓のようなものです。 昔はお墓だけでなく死体がゴロゴロとありました。まさに地獄絵図です。
しかし、その後この石塔を過ぎて清水寺に行くときに通る場所は、写真の子安(こやす)の塔です。
子安塔址と記載があります
死を連想させた後に、子安なので、ここでは「生」を連想させます。
死んでも生まれ変わるんだよということを感じさせます。
実はこの写真↑があるのは、清水寺の参拝が終わった人が帰る時に坂道を下っていると見えてきます。
しかし、昔はこの石碑を坂を登りながら見ていきました。 昔とは根本的に参拝ルートが違っているのです。 今は清水寺に参拝し終わって、「よし帰ろう!」と言っている時に子安の塔をみるので、 「なんのこっちゃ?」とみなさんが思い素通りしてしまうのですね。
死から生への転換
死んでもまた生まれ変われるのは誰のおかげなのか?
→それこそ、清水寺にいる観音菩薩様のおかげなのだと思うわけなのです。
そのようにして清水寺に来てもらう、参拝してもらうようわざとしました。
だからこそ、清水寺は古来から信仰の対象になっているわけですね。
また、さらに言えば、昔の京都の中心は洛中(らくちゅう)と言われ、都の中の都という場所がありました。
その境目はどこにあったのかというと鴨川です。
洛中から東に進むと鴨川にぶち当たり、さらに進むと、東山の清水寺にぶち当たります。🏃♀️
これは、洛中から外に出ると、そこは私たちが住む世界ではない、あの世ということを表しています。
鴨川を三途の川に見立てて、さらに東に進むと風葬地である六波羅にあたり死を連想します。
しかしそのまま進むと子安の塔にあたり、清水寺の観音菩薩様が助けてくれるという構図になっていました。面白いですね🤣
清水の舞台から飛び降りる!
最後になりますが、「清水の舞台から飛び降りる」という慣用句がありますが、
あれは清水寺の観音菩薩様を信じていた人が、その信仰の度合いがヒートアップして過激になった結果だと言えます。
舞台から下を見下ろすと、、、↑
観音様なら飛び降りても死なずに助けてくれるという強い思いから飛び降りてみたらしいです。
今までに200人以上の人が飛び降り、普通に飛び降りたら死んでしまうはずなのに、観音様のお助けの力なのか、8割以上の人は助かっているみたいです。。
皆さんは決して真似しないようにしましょうね。
まとめ
今回は清水寺の昔の参拝の仕方や、考え方を中心に見てきました。死を連想させてから生を連想させ、それを信仰心につなげていくなんて、すごい発想ですよね。 おかげで清水寺は今でも日本有数の観光地になっています。 ちなみに私が清水寺に行ったのは朝6時くらいだったので、人も少なくとても良かったです。清水寺の中にあった地主神社は朝早すぎて入れませんでいたけど笑 帰りは清水寺周辺の茶わん坂を下った、おばんざい専門のお店で朝ごはんを食べました。 個人的には山椒が効いたお味噌汁が一番美味しかったです!
みなさんもぜひ行ってみてくださいね!
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追記
清水寺から2021/07/07に中世の古文書が発見されたみたいですね。昔の文書はまだまだいろんな神社仏閣に眠っているだけで、発見されていない史料も山程あるんですよね。今後今言われている常識がガラッと変わるかも知れませんよね。